悪女について
有吉佐和子著

私が「この1冊」を選べといわれたら
これを選ぶかな〜という本です。
したたかな悪女の生き様を
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悪女について

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悪女について

新潮社

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主人公 富小路 公子 (鈴木 君子)
 港区赤坂檜町にて八百屋の長女として誕生

その人生を表にしてみました。


                      

年月 できごと 出会った人々 住まい 謎・疑問点などなど
1936年 昭和11年
        10月8日
檜町小学校時代はとなりの牧子とそろばん塾へ通う 丸井牧子 港区赤坂
檜町
後に、そろばん塾へ通っていないと牧子に語る。
1950年 昭和25年頃 君子 中3 父 死亡 
それに伴い、同級生 雪子のいる尾藤家(檜町内)に母ともども移転し家事手伝いなどを行う。

丸井牧子
尾藤一家
子供時代より、自分は貴族の落とし子で、鈴木夫婦は養父母であると 以後、死ぬまで言い続ける。
1951年 昭和26年3月 君子 中学校卒業 
1951年 昭和26年
       4月〜7月
君子 神田の簿記学校にて夜間簿記3級クラス
簿記学校にて知り合った沢山の紹介にて新橋の宝石店へ昼の勤務をはじめる
宝石職人宅への出入りも始まる
早川松夫
沢山栄次
宝石職人
早川には小学校でそろばんを学んだと語っている。
1951年 昭和26年
      8月〜12月
君子 神田の簿記学校夜間簿記2級クラスへ
尾藤輝彦とのデート帰り、実母に騒がれる。
   その後、中野へ移転。
   これをきっかけに輝彦と、深い仲となる。
簿記2級合格祝いに沢山とから祝いをもらいそのままやはり深い仲になる。(年末)
この頃より、日本橋モンレーブの前身である中華料理店で夜間レジも開始する(沢山の店)
尾藤輝彦
大内三郎
檜町から中野の
アパートへ転居
1952年 昭和27年 秋 最初の夫で当時バイト学生渡瀬義雄と中華料理店で知り合い、年末には同棲を開始 渡瀬義雄 中野から渡瀬義雄
宅へ転居(麻布)
1953年 昭和28年春 渡瀬義雄大学卒業・就職 この頃君子により婚姻届が提出されていた。
アパート住人などにも結婚挨拶の銀の灰皿が配布している。
里野夫人 麻布のアパート 結婚したと周囲に話し出す。
大内三郎が尾藤家に送り届けたことがある。(渡瀬の母の実家であると説明)
この頃より様々な宝石やドレスを身に着けているのを里野夫人が目撃。
また、勤務先の宝石店へも様々な宝石を持ちこむようになる(知人のものと説明)
1954年 昭和29年 
渡瀬義雄からの一方的な絶縁 (渡瀬がアパートを出る)
宝石店を辞職
その2ヶ月後、レストランも退職する
沢山夫人の前に身重姿で現れる。
義雄との別離の半年後、長男義彦を
         麻布の医院にて出産
出産後2ヶ月で日本橋のレストランに復帰し昼夜通しで働くようになる。
出産後、デザイナー林梨江のアトリエに現れる。
沢山夫人
鈴木義彦
(渡瀬義雄の
戸籍に届け)
林梨江
文京区本郷
移転記述はないが
林梨江のドレスの
届け先とされる。
里野夫人によると
行き先をつけずに
転居している。
誰と過ごして
いたのか?
出産連絡を受けたもの
渡瀬義雄・沢山栄次・尾藤輝彦
渡瀬以外は君子と子供を生涯支えることを決意している。
渡瀬の名で入院しながら尾藤が見舞ったときは子供の足にも病室にも「鈴木」と書かれていたことは謎。
1955年 昭和30年春 尾藤家に出入りを始め、尾藤家の宝石を売り尽くす この頃より自分で宝石が買えるようになったと語る。
(宝石職人の話し)
また輸入車などにて林梨江のアトリエなども訪れるようになる。
1955年 昭和30年12月 次男 義輝誕生  鈴木義輝
(渡瀬義雄の
戸籍に届け)
中野にて
実母と息子2人と
共に生活。
出産連絡を受けたもの
沢山栄次・尾藤輝彦
1956年 昭和31年 離婚した由、林梨江に語る。
1959年 昭和34年 渡瀬義雄の実家に現れ狂言自殺を図る。
離婚慰謝料として現在の数億円を手にする。
レストランモンレーブで2番目の夫、富本寛一と出会う。
再婚する由、林梨江に語る
渡瀬小静
(義雄の母)
富元寛一
富本寛一に3歳年を偽る。
(最初の年齢詐称?)
1960年 昭和35年 富本家を訪れ母・妹など家族と会う 富本宮子
伊藤弁護士
1961年 昭和36年10月以前 君子23歳と偽り(実際は26歳を迎える25歳)
青山にて結婚式。披露宴は帝国ホテル。
田園調布の
富本家に同居。
後、本郷に
マンション購入し
夫婦で移転。
1962年 昭和37年 富本家の隣地3,000坪を購入し、広大な邸宅を建設する。
同時に日本橋にもビル建立。
この頃より「富小路公子」を通称とする。
菅原ふみ
1963年 昭和38年 富本寛一が疑念を抱き始め、離婚に至る。
 (富元親子が転居)
富本家の500坪の土地を慰謝料
がわりに入手する。
1964年 昭和39年 4月 東京レイディズ・ソサイエティに入会
 この少し前に烏丸瑶子と知り合い、近づく。
長男 義彦(小5)・次男 義輝(小4)を呼び寄せる。
(ふたりは祖母鈴木タネの養子として届けられている)
この頃、会員製の東京レディスクラブを設立する。
烏丸瑶子
瀬川大介の妻
銀座のバアの
    マダム
菅原ふみが当時君子が27歳であると言っている。誕生日(10月8日)前の話しとすれば、ふみは君子の実年齢を把握していた。
銀座のマダムへの挨拶時には「昭和21年生まれ」と語り、以後出会う人々には21年生まれで通す。
1967年 昭和42年 この頃よりテレビ出演を開始する。
光子 癲癇の発作を起こす
テレビ朝日
プロデューサー太田
北村院長
テレビに多数の賛辞と同時に中傷も寄せられる。
もぐりの金融業などもしていたのか?
1970年 昭和40年 この頃より宝来病院に入退院繰り返す。 元婦長 医者にも年齢詐称
1972年 昭和47年 小島誠東京レディスクラブに入社 小島誠
1973年 昭和48年 小島誠レディスクラブ支配人に昇進
この年誠との交際が始まる。
1976年 昭和49年 長男 義彦東大卒業とともに同級生瑶子と結婚 若夫婦への君子から執拗な嫌がらせ。
1977年 昭和52年某日14時 公子 事務所窓より謎の転落死 享年41歳

君子の最後の日々
最後に会ったのは 小島誠  ドレスを披露後の死。10日後にはハワイにて挙式の予定があった。
2,3日前。宝石職人宅で「女の子が欲しかった」と語る。
死の4日前の日中(日本時間) 2週間後、尾藤輝彦にニューヨークへ向かう旨。
死の4日ほど前、沢山栄次とも会っている。
死因 仮性鬱病? 嘘がつきとおせなくなり観念自殺?
                  

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