| 第7号 (7月30日発行) |
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★ 我が家にADSLがやってきた 今回はちょっと趣向を変えて、テーマなしにペドロランドの話題を思いつくままに書いて行きたいと思っています。 まず、身近な話題から。ついに我が家がADSLになった。スペインにもADSLはある。今年の4月に我が家に念願の電話が入ったときも、普通のアナログ回線にするか、それともADSLかISDNにするかと聞かれたくらいである。わたしに先見の明があったら、最初からADSLにしていたところであるが、なにしろ、引越し後1年2ヶ月、最初に電話を申し込んでからは1年7ヶ月も待ちに待った電話である。この際電話が入るだけでありがたいというので、何も考えないで普通のアナログ回線に飛びついてしまったのだった。 が、これではインターネットを使って仕事をする上で、どうしても不便な点が出てくる。そこで、普通アナログ回線を入れてからわずか2ヵ月後にADSLに切り替えることになったわけである。まず、街中のテレフォニカショップ(電話会社の代理店)で申し込みをした。それから4週間、全く連絡がないので、テレフォニカのカスタマーサービスに電話をした。(ここではありがたいことに英語が通じる。)すると、注文が入っていないと言う。4週間も待ったのはなんのためだったのかとがっかりしたが、ここは何でもありのスペインである。この程度では驚きはしない。気を取り直して、再注文。 10営業日かかるということであったが、テレフォニカから電話があったのは、実にその10営業日目であった。(実際には2週間と1日だったが、間に1日カタルーニャ地方の祭日があったらしい。)3時に来るという。(大胆にも時間指定!)ところが、うちがどこにあるかもわかっていないようで、一抹の不安は残ったのだった。おまけに、この電話の後、いきなり我が家の電話回線はぶち切られてしまった。こうして、果たして彼らは午後3時に来るのか、もし来なかったら永遠に電話は不通になってしまうのかというスリリングな待ち時間が始まった。 そして、午後3時。ぴったりに彼らはやって来たのだった。最初のモデムは問題ありで、(どんな問題だったかは聞かないでほしい。わたしは聞いても答えを理解できないだろうと思ったので聞かず、彼らは言ってもわたしにはわからないと思ったので説明しなかった。)別のタイプのモデムを使ってようやく接続成功となった。初めて見る日本語に、エンジニアの若い男性2人はいたく感動している。 最後にエンジニアの1人が紙とペンを持って近寄って来た。受け取りのサインがほしいと言うのかと思っていたら違った。自分はホセという。自分の友達に入れ墨をする人がいて、彼に「ホセ」と「エステル」(女性の名前)と日本語で入れ墨をしてもらいたい、日本語で書いてくれる?と言うのだった。イギリスに住み始めた当初は、余興で知人の子供の名前を漢字で書いては大うけしていたが、最近は入れ墨用という若い人のリクエストが多くて困る。わたしは責任感が強い。自分の選んだ漢字が一生残るのかと思うとそのプレッシャーに押しつぶされそうになるのだった。特に、自分の手書きの文字をそのまま入れ墨するなんていう時には、恐ろしくなってしまう。去年イギリスに帰った時にもイギリス人の知人に、子供の名前を入れ墨したいので漢字で書いてほしい、でも、それを見て日本人が何て読むのかわからないなんていうのは嫌なの、と言われた。これはかなりのプレッシャーだった。3日間悩んだあげく、丁寧にお断りすることにした。ホセの頼みにもかなり苦しんだ。ある一瞬、ホセはきっとこの先2度と日本人に会うことはないだろうという悪魔の囁きが聞こえた。これで気持ちは軽くなった。「保世」と「恵須照」と紙に書いて渡した。「恵須照」はちょっと苦しいかもしれないが、ウィークリーまぐまぐには「寒ー」と書いて「サミー」と読ませた人の例も出ていたのだから、このくらいは許されるだろう。ホセはいたく感激して去っていった。万が一、どこかでホセに「これなんて読む?」と入れ墨を見せられたら、ためらいなく「ホセとエステル!」と答えていただきたい。 ということで、すっかりスペイン人を見直した一件であった。さて、今度は最新のペドロランドの話題。 ペドロランドにはカールハインツというめちゃくちゃ不満の多いドイツ人がいる。水しぶきが飛ぶので共同プールでの飛び込みは禁止するべきだと主張する。水がかかるのが嫌なら最初からプールになど行かなければいいのである。また、スペイン人住民たちが住民規則で決められた夜9時を過ぎてもプールで泳いでいるというので、夜の11時に住民管理組合の役員をたたき起こして、スペイン人たちに注意させようとしたこともある。 このカールハインツがついに住民管理組合の役員たちと衝突した。役員たちの堪忍袋の緒が切れたのである。カールハインツも怒って、「そんなら、家を売るぞ!」と脅しをかけた。もっとも、脅しというのは相手の困ることをしてやるぞというからこそ効果があるものである。思いがけないうれしい申し出に役員たちは待っていましたとばかり、早速カールハインツの電話番号入り「売り家」看板を作った。これでは、彼も後に引けないだろう。 ペドロランドは人生の縮図である。別れと出会いが繰り返される。特に夏にはそれが連続する。お隣りのアリーとトーシュは先週オランダに帰ってしまった。定住者でない人たちは、夏休みには母国に帰ることが多い。夏は北ヨーロッパ(オランダやイギリスを含む)の最もいい季節であるし、この辺りの夏は北欧人には暑すぎる。(わたしにしてみれば、日本の夏のほうがずっと暑いと思う。)夏を母国で過ごし、9月にはまた太陽を楽しむために彼らは戻ってくる。そして、クリスマスを母国に残した家族と過ごすためにまた帰るというわけである。 一方、この時期には大量の旅行者が休暇を過ごすためにやってくる。お向かいのウィルフレッドの家には、先週まで友人一家が3週間ほど泊まっていた。彼らが去って、今週はウィルフレッドの友人である女性2人がやって来ると言うことだ。彼女たちが去ると、今度は家の持ち主であるウィルフレッドとエベリンがやって来る。ペドロランドは新しい家ばかりなので、賃貸に出されている家は比較的少ないし、また借り手も持ち主の友人に限られているところが多い。それでも、夏の間の人の入れ替わりはとても速い。 夏休みは定住者にとっては最も不便な時期である。子連れで旅行者がやって来るので、ペドロランドの平均年齢は一気に下がる。うるさい。日ごろ静かなだけに、この時期の騒々しさは格別である。そして、店も道路も至るところ混んでいる。ひたすら早く9月になって、いつもの静けさが戻ってくるのを待つのみだ。 そんなペドロランドの騒々しさを逃れて、近くのスペイン人町に出かけた。現金自動引き出し機の言語選択が全部スペインの地方言語になっている例の町である。ここには天然塩を採るための池がある。この池に沈殿している泥が健康にいいというので、たくさんのスペイン人が集まる保養地でもある。レストランで食事をした。周りはみんなスペイン人。なんだか外国旅行に来ているような気分になった。ペドロランドからはわずか15キロ。しかし、まるで外国のようである。(よく考えると外国ではある。)屋外に巨大なスピーカーが設置され、エンターテイメントが始まった。第1曲目はスペイン語の「マイウェイ」である。その後は、タンゴっぽい歌が続く。イギリス人が踊り出すにはアルコールが必要だが、スペイン人は酔っ払う必要がない。チョコレートパフェを注文するや否や席を離れ、ダンスエリアに女性が集まる。男性も中にはいるが、女性が圧倒的に多い。中には、振り付けの決まっている曲もあり、みんなで円になって同じ踊りを始める。まるで日本の盆踊りのようだ。レストランの周りには人垣が出来始める。レストランの向かいのアパートのベランダにも椅子を持ち出して音楽を楽しむ人の姿が見られる。夜12時、宴たけなわである。スペインの夜は長い。 |