不思議のペドロランド

第18号 (9月15日発行)

★ 同一ではない単一通貨ユーロの話(2)

前回は予定を変更して、わたしのオランダ旅行の感想を書かせていただいた。今回はまたユーロの話に戻る。前に紙幣の話までしたので、今回は硬貨の話をする。硬貨には、1・2・5・10・20・50セントと1と2ユーロの8種類がある。紙幣のデザインは同一であるが、硬貨の裏の絵柄は国によって異なる。スペインでは、1ユーロと2ユーロ硬貨には国王のホアン・カルロス1世の顔が、10・20・50センティモ硬貨にはドンキホーテの作者セルバンテスの顔が、1・2・5センティモ硬貨にはどこかの大聖堂(研究不足ですみません)の絵が刻まれている。

硬貨のデザインには、目の不自由な人にでも区別ができるようにという配慮が加えられていて、それぞれの硬貨の大きさや縁の刻みは異なっているそうである。とは言え、1・2・5センティモの違いは非常に微妙だ。全部銅貨でデザインも同じなので、目が見えるとかえって間違いやすい。2センティモと間違えて5センティモを出してしまうこともしばしばある。そうすると釣りが来て、さらに小銭が増えることになり、財布を軽くしようという企てが裏目に出るのだった。

ペドロランド近辺は国際色が豊かなので、外国の硬貨に出会うことが多い。ドイツ・アイルランド・オランダなどの硬貨はあまり珍しくないが、ギリシャやイタリアなどは希少価値である。こんなのが手に入ると、1日中ラッキーな気分になってしまう。子供の頃、プロ野球スナックを買ったら、初めて見る選手のカードが入っていたというのに似た喜びだ。

この硬貨のデザインだが、どこの国のものかというのはどの硬貨を見てもはっきりとはわかるわけではない。「自由・平等・博愛」に"RF"というデザインのフランスの1ユーロや、ご丁寧にすべてに「エスパーニャ」と刻まれているスペインの硬貨、独特のギリシャ文字で「ユーロ」と刻まれているギリシャの1ユーロなどは判別が簡単なほうであるが、はっきり国名が記されていない硬貨も多い。樫の木をあしらった1セント硬貨を長いことアイルランドのものと信じていたが、実はドイツのものだということが最近わかった。樫の木はイギリスでもっとも馴染みが深い木であり、アイルランド人の祖先ケルト民族の信仰していたドルイド教とも深い関わりがあったため、アイルランドの硬貨と思い込んでいたわけである。ドイツと樫の木という組み合わせは意外であった。

というわけで、貨幣から女王の顔が消えるのは嫌だというセンチメンタルな理由は、イギリス人がユーロ導入に反対する口実としては通用しないわけである。スペインのように君主の顔を硬貨に残すこともできるからだ。スウェーデンやデンマーク同様、イギリスはEU(欧州連合)に加入していながら、ユーロには不参加である国の1つである。行政面・司法面では、独立を失い、ブリュッセルに牛耳られるのを極度に嫌うイギリス人であるが、ユーロ導入に関しては、輸出入に対する為替レートの影響がなくなる、国際競争力が増すなどの点で実利的なメリットが大きいため、比較的抵抗は小さいように思う。

それでも、イギリス人がユーロ導入に懐疑的なのは、1971年に施行されたデシマライゼーション(10進法化)の苦い経験がまだ記憶から消え去らないからであろう。それまで1シリングは20分の1ポンドで、12ペンスが1シリングであった。こんな複雑な制度が続いていたほうが不思議なくらいである(計算の苦手なわたしは、算数の時間を考えると、この時代のイギリスの子供たちが気の毒になる)。これが、100ペンスが1ポンドとなり、シリングという単位がなくなったわけである。10進法への移行というコペルニクス的発想の転換に加え、一部旧来と同じ硬貨をそのまま使ったので、人々の混乱はたいへんなものであったそうだ。同じ硬貨でありながら、価値が変わってしまったのだから、当然であろう。この混乱に便乗してもうける商売人も少なくなく、たった一夜にして物価は急上昇したということである。

このイギリス人の心配はあながち杞憂とばかりも言えない。前号で述べた通り、ユーロ導入後1年間は、レシートや店内表示などの価格表示にはペセタとユーロの二本立て表示が義務付けられていた。ユーロ導入に伴う便乗値上げを防ぐためである。ところがそれでも物価上昇は避けられなかった。たとえば、カフェのコーヒーは100ペセタであったが、2002年1月1日になった途端、1ユーロに変わった。交換レートは1ユーロ=166ペセタちょっとであるから、ユーロ導入と同時にコーヒーは66パーセント値上がりしたわけである。万事こんな具合だとしたら、たいへんなインフレになったところである。

「自分だってトルコに行けばミリオンネア」とよくイギリスで言うが、1ポンドは約260万リラである(1円は約1万4千リラ)。外国人にしてみれば、平価切り上げをして、0の数を少し落とせばいいのではないかと思われるが、現地の人たちは1リラ・2リラの世界で暮らしているということである。クルド民族の人権問題がネックとなってトルコのEU(欧州連合)加盟はしばらくはなさそうだが、もし希望がかなって加盟が認められたとしても、ユーロ参入はさらに先の話であろう。現在の経済状態のままユーロに参入したら、たいへんなインフレになって庶民は生活していけないのではないか。

今年5月から新たに10ヶ国が加わり、さらに欧州連合は大きくなった。この新規加盟国の平均国民所得を比較すると、キプロスやマルタのような国と元ソビエト連邦の国々とは雲泥の差がある。これらの国はユーロにはまだ参入していないが、個々の国の差異を飲み込み、個々の国の特色を残しながら、ユーロ圏も次第に大きくなっていくのだろう。

★ ちょっと関係ないけれど・・・

前回のオランダ人の話について読者の方からメールをいただき、思ったことがある。「日本人もイギリス人もまったくの他人に話しかけるのは、相手のプライバシーを侵すことになると考える」と書いたが、これは都会の人間に共通する考え方なのではないかということだ。わたしは東京出身(東京でも比較的田舎のほうではあるが)、夫はロンドン生まれのロンドン育ちである。もしかすると、日本人でも東京以外ではまた別の感覚があるのかもしれない(東京以外のご出身の方、ぜひご意見をお聞かせください)。

ところが、オランダとなると、アリーもトーシュもアムステルダムから20キロ圏内で生まれ育っており、本人たちも都会派を自認している。今回の不思議な光景を目撃したのもアムステルダム近辺だ。ということは、このプライバシーの侵害云々という考えは、少なくともオランダの都会の人間には存在しないことになる。オランダ人がまったくの見ず知らずの人にあたかも旧来の知人のように話しかけ、会話を始めてしまうのは、やはり見ず知らずの人にも友人のように対応する国民性からなのかもしれない。

昨年からトーシュが自転車店でアルバイトを始めたため、なかなかアリーとトーシュが2人揃ってスペインに来るということがなくなった。今年の1月にはアリーとトーシュの妹(あるいは姉かもしれないが)・カーラがやってきて、4月にはアリーはトーシュの別の妹・ネルと来た。トーシュには8人の姉妹と1人の弟がいるので、これはほんの氷山の一角である。どちらの場合も、2週間ほど一緒に過ごしてオランダに帰っていった。

その後、6月にトーシュは昨年のバリ島サイクリング旅行で知り合ったという男性と2週間スペインで過ごすためにやってきた。しかも自分の家には泊まらずに、ペドロランドから車で1時間半ほどのところにある他人の別荘を借りてである。アリーはオランダで留守番だそうだ。この常識では理解しがたい行動の理由は話せば長い話になるというので、とうとう聞かずに終わってしまったが、ペドロランドのイギリス人住民たちは夫婦の危機なのか、あるいは不道徳な趣味にはしり始めたのかといぶかった。しかし、わたしは一言言った「オランダではまったく普通なのかもよ」。イギリスの常識でも、日本の常識でも計り知れないことがオランダではまったく普通のことであってもなんの不思議はないのだった。

イギリス滞在もあと1週間となった。なんだかイギリスに住んでいるような気分になってきてしまった。やっぱり移動の時期は来ている。

それでは、また次号でお会いしましょう。


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