不思議のペドロランド

第14号 (3月18日発行)

★ 祭りとスペイン人

火祭りの時期になった。3月15日からファヤと呼ばれる張子人形が町に設置され、ファヤに火がつけられる3月19日のサン・ホセ(聖ヨセフ)の祭日の夜にクライマックスを迎える。最大規模はバレンシア州の州都バレンシアだということだが、バレンシア語が町議会の公用語となっているほどバレンシア色の強いアリカンテの北の町々でも行われるところがある。ペドロランドはアリカンテの南に位置し、この近辺ではこの祭りを祝う町は数えるほどしかない。というわけで、残念ながらわたしはこの祭りを見たことがない。

3月19日までの約一週間、音楽と踊り・パレードや花を捧げるといった行事が続く。この祭りの目玉はなんと言ってもファヤが焼かれる最終日だろうが、もう一つの特色は午前零時の花火と正午の爆竹だそうである。音だけの花火というのはイギリス人には理解しがたい代物だ。日本でも運動会の朝、開催を告げる花火が青空に上がったのを覚えているが、視覚的な楽しみはなく、騒々しい音だけの花火というのはイギリス人にはまったく存在価値のないものと考えられる。

音についての話は後日また改めてすると思うが、イギリス人とスペイン人では音に対する感覚はまったく異なる。日本人の感覚はスペイン人に近いだろう。以前、地元の英字新聞に、爆竹を鳴らす風習をスペイン人に改めていただきたいというイギリス人の投書が載った。この人の説によると、かつてスペイン人がとても貧しかった頃、祭りには金属のゴミ箱のふたをたたいて町内を練り歩いたそうである。つまり、たくさんの騒音=めでたいという公式がスペインには存在するわけだ。音だけの花火や爆竹・車の警笛を鳴らすといった行為が祭りや祝い事に使われるのはここから来るらしい。気の毒なのはスペインに住む犬たちである。犬は花火の爆音をとても恐れる。わたしの知人に年老いたヨークシャテリアを飼っている女性がいるが、11月5日のガイ・フォークスの日(イギリスで全国的に花火大会が行われる日。史実に基づく。ガイ・フォークス人形に火がつけられてクライマックスを迎えるところは、イギリス版火祭りとも言えるだろう)になると、獣医に処方してもらった精神安定剤をこの老犬に飲ませるそうだ。で、この投稿者はスペイン人のみなさん、かわいそうな犬たちのために、音だけの花火などという無用のものはやめましょうと訴えているわけである。

ペドロランド近辺で火祭りよりも盛大な祭りが、ムーア人(アラブ人)とキリスト教徒の祭りである。町によって多少の違いがあるが、大筋としとしては、ムーア人がやってきて町を支配するが、激戦の末キリスト教徒が勝ってムーア人は降参し、改宗するという史実が土台となっている。これにそれぞれの町の逸話が花を添え、海辺の町ではムーア人が海からやってきて上陸したり、ある町では突然奇跡が起こってそれまで苦戦していたキリスト教徒が挽回したりといったシーンが付け加わる。ちなみに最後は決まって午前零時の花火で終わる。こちらは音だけではなく、色とりどりの模様が夜空を飾る立派な花火である。祭りの時期は町によってさまざまだ。春のところもあれば、秋のところもある。年に2度あるところもある。

ペドロランド近辺は新興住宅地なので土着の住民というのがいない。スペイン人住民すらマドリッドやリオンなどほかの地方からの移民である。したがって、祭りを開催するような地域社会の土台がない。これが残念なところである。ところが、2年前の7月下旬のある木曜日、突然大通りに電飾が現れた。これは何の前触れかと思っていると、その週の土曜日の夜、音楽がどこからともなく聞こえてきた。何かと思ってベランダに出てみると、毎週土曜日に市(マーケット)の立つ大通りでパレードが始まっている。大通りに行ってみると、すでに通りの両脇には人垣ができていた。ムーア人とキリスト教徒の祭りである。まず行列の先頭を黒を基調としたムーア人の衣装に身をつつんだ男性と女性が歩く。楽団が続く。次にまたムーア人に仮装したグループが続く。こちらはまた別の衣装だが、12人くらいのグループ全員がおそろいの衣装を身にまとっている。金糸の刺繍がきらびやかである。とても手の込んだ衣装だ。金もかかっているのだろう。そしてまた楽団が続く。行列の後半はキリスト教徒たちだ。白を基調とした衣装が多い。やはり各グループ、それぞれの楽団を引き連れている。城を乗せた山車が最後を飾る。

戦闘シーンが繰り広げられたり、船を使って海岸でムーア人の上陸場面を再現したり、また本物の象が登場したりするほかの町のムーア人とキリスト教徒の祭りよりはずっと小規模ではあったが、突然現れた祭りにわれわれ外国人住民もたまたま夏休みを過ごしにやってきた旅行客たちも大喜びの一夜であった。どうやら一団のムーア人とキリスト教徒は観光バス3台で運ばれてきたようである。ペドロランドのある市の中心地からやってきたらしい。この市自体は古い町で、独自のムーア人とキリスト教徒祭りがある。人口の倍増する夏休みの時期を狙って、新興住宅地の住民にもスペインの祭りのすばらしさを味わわせてやろうという心憎い計らいであったのだろう。まったく歴史のない新興住宅地に一夜にしてスペインの伝統的な祭りを実現してしまった。この企画力と組織力はすばらしい。もっともこれだけ力を入れるなら、前もってもっと宣伝すればよかったのにと思うのだが、そこがスペイン人らしいところでもある。

昨年はムーア人とキリスト教徒の祭りの花火で死傷者が出るという事件が相次いだ。その一つはペドロランドからは離れた町で起こったが、火薬を満載した乗用車が爆発して、乗っていた祭り主催者の1人が亡くなった。こうなると祭りも命がけである。もっともこんな危険なことを何年も続けていて今まで事故が起きなかったほうが不思議でもある。祭りにかけるスペイン人の意気込みは強い。スペイン人は祭りの天才だ。

★ ちょっと関係ないけれど・・・

噂に聞く引ったくりというのに先週の土曜日初めて遭遇した。男女5人で近くのバーに出かけたときのことである。車から降りて道路を渡ろうとしていると、1台の車が近づいて来る。そこで道路脇によけるとその車が寄ってきた。駐車しようとしているのか、それともだれかの知り合いで声をかけようと近づいてきたのかと思っていると、わたしの連れたちの間に一瞬にして緊張が走った。助手席に座っている青年の浅黒く端正な顔立ちが邪悪なものに見えた瞬間、なにが起こっているのかが理解できた。わたしたちの連れの一人・ジョーシーのハンドバッグをひったくろうとしているのだ。助手席の青年がハンドバッグをつかむやいなや車が走り出すと、ジョーシーはバッグを離さないわけにはいかなかった。こうして車に乗った4人組はジョーシーのハンドバックとともに走り去った。

去年は同じような手口で数人の被害者が亡くなっている。ハンドバッグを離さなかったために、車あるいはバイクに引きずられたり、倒れた拍子に道路で頭を打ったりした人たちだ。外国人であふれかえっている刑務所ではあるが、この手の引ったくり犯人はスペイン人の若者が圧倒的に多いようである。

 

テレビで実際の犯罪を再現した番組などを見ていると、自分だったら犯行に使われた車のナンバープレートを覚えておくだろうなどと思うものである。が、実際に自分の身に起こると気が動転して、そこまで冷静に振舞えないものであるということがよくわかった。いつの日か悪者をたたきのめしてやることを人生の目的としている夫は、かっこうのチャンスに、後部座席に乗っていた男の腕をつかむことしかできなかったことをたいへん悔やんでいる。それでもナンバープレートの一部を読み取っただけ立派である(敵もさるもので、近寄って来た後、車のライトを消し、ナンバープレートを読み取れないほど十分遠ざかってから再びライトを点灯した)。わたしなどは車がどちらの方向に曲がって行ったかを確認する心のゆとりすらなかった。

この日以降、夜はハンドバッグを持ち歩かないことにした。男性諸氏にはわからないだろうが、ハンドバッグ無しというのはどうも心細いものである。手持ち無沙汰であり、何か大切なものを忘れているのではないかという不安がつねにあり、洋服を付け忘れたような気持ちでもある。そのうち慣れるだろうが、なんとも落ち着かないものだ。

それでは、また次号でお会いしましょう。


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