不思議のペドロランド

第12号 (9月21日発行)

★ ペドロランドに帰ってきた

9月5日にイギリスを発ち、ペドロランドに戻った。今まででもっともついていない旅だったかもしれない。まずイギリス国内の高速道路で事故のための大渋滞にあった。そのため、予約しておいた午前10時のフェリーには間に合わず、次の10時45分のフェリーに乗ることになった。これで、すでに45分の遅れである。今回はドーバー・カレー間のフェリーを利用したが、これがポーツマス・ビルバオ間のフェリーだったら、45分の遅れどころではない。次の便は2日後である。45分で済んだのは不幸中の幸いだったかもしれない。

こうして45分遅れでフランスに到着し、その日はボーヌというところで、一泊することにした。翌日は9時半にホテルを出発する。2年前に同じ経路でスペインに帰ったときには、2日目朝9時出発でその日の夜7時にはペドロランドに到着していた。ところが、今回は午後2時になっても、まだ南フランスである。たいへんな交通量のため、思ったように進まない。週末には移動するものではないのが今回の教訓である。

後わずかでフランス・スペイン国境ということころで、自動車後部で大きな音がした。路肩に車を停めると、左後輪のタイヤが破裂している。幸い、タイヤ交換にはあまり時間を取られなかった。その後、バルセロナで間違ったところで高速道路を降りてしまった。が、これもそれほど時間はかからずに、もとの高速道路に乗ることができた。タラゴナからアリカンテ直前まで、2時間以上夕立の中を車を走らせることになる。車の中は安全とわかっているので、雷はそれほど気にならなかった。むしろ、花火大会のようで思いがけない余興にすらなった(後に読んだ新聞記事によると、この日の午後6時から10時の間に記録された落雷は3,500件にのぼると言う)。ところが、土砂降りの雨には減速を余儀なくされる。追い越し車線にできた大きな水溜りにハンドルをとられ、ひやりとさせられたこともあった。結局、ペドロランドには真夜中に到着することになる。

2ヶ月ぶりのペドロランドだ。きっとまた新しいラウンドアバウト(ロータリー交差点。イギリスの専売特許であるが、最近スペイン人たちがこれを発見して、好んで取り入れている。でも、使いかたを完全に理解している人は少ない)ができているに違いないと思っていたのだが、予想に反し、ラウンドアバウトの数は増えていなかった。スーパーマーケットが以前と同じ道路沿いに500メートルほど移動していた。近くの商業施設に新しいバーとレストランが12軒開店していた。ペドロランドのイギリス人住民、クリフとシャーリーが引っ越して、その後にやはりイギリス人のビルとパットが引っ越して来ていた。別居すると言っていたジョーシーとジョンが仲直りして、また一緒に住んでいた。あれだけの大騒ぎの後でなんだか気が抜けるのだが、二人ともいい人たちなのでよりが戻ったのはよかった。

小さな変化はあったが、その中で一番大きな変化はわれらがバンパンマンが姿を消していたということでろう。第5号の「雨に弱いもの」の中でこのバンパンマンの話をしたが、これまで2年間、クリスマス前後を除いてほぼ毎日欠かさずやって来ていたパン屋がとうとういなくなってしまった。予兆はすでにわたしがイギリスに行く前から現れていた。商売敵が登場したのだ。別のパン屋が車でパンを売りにペドロランドにやってきたのである。われらがバンパンマンは雨だけではなく、朝にも弱い。見るからに低血圧そうだ。そこで、彼がペドロランドにやってくるのは、ほかの住宅地を回り終えた午後1時である。スペイン人の昼食には間に合うが、外国人たちはすでに昼食を終えている。新しいパン屋がペドロランドにやってくるのは正午で、この1時間の違いは決定的だったかもしれない。

が、すでにバンパンマンの敗北はその前に決まっていたとわたしは思う。大きな敗因はドイツのパンの取り扱いをやめたことであろう。ドイツのパンはドイツ人だけでなく外国人全般の間でとても人気があり、それがバンパンマンをほかのパン屋から差別化する原因になっていた。ところが、仕入れ元のパン工場がドイツのパンの値段を上げたという理由から、バンパンマンはドイツのパンを売るのをやめてしまったのだ。彼の売るスペインのパンは正直なところ、ぱさぱさであまりおいしくない。それでも、毎日向こうからやって来てくれる手軽さと彼のまじめで気さくな人柄から、我が家では毎日彼からパンを買っていた。が、これをきっかけに彼からパンを買うのをやめてしまった隣人は多い。値上げ分を客に転嫁してでも、彼はドイツのパンを扱い続けるべきであった。多少高くてもドイツのパンを買うという客は少なくなったはずである。

ペドロランドに帰ってきて見ると、そのバンパンマンも彼の商売敵もまとめて姿を消していた。一時期は2人のパン屋がやってきていたペドロランドは、いまやまったくパン屋の来ない住宅地である。ところが、歩いて3分ほどのところに、焼きたてのパンを売るキオスク(売店)ができていた。もしかすると、これが、バンパンマンが姿を消した本当の原因なのかもしれない。このキオスク、一般歩道に面して大きな正面入口がついているものの、どう見ても、普通の家の前庭に建てられた物置という感じである。パンのほかに新聞などを売っている。レンタカーの取り扱いもしているようだ、店主の国籍については、わたしと夫との間で現在審議中であるが、オランダ人という説が有力である。

キオスクといえば、やはり住宅地の中に建つ家の塀に埋め込まれたアイスクリーム売店が新しい商売を始めていた。未確認情報であるが、インターネットカフェを併設しているということである。家内事業全盛と言ったところだ。

前の号で、その国に帰るのが楽しみな食べ物という話をしたが、やはりその国に帰るのを楽しみにする最大の要素はそこに住む人々だと思う。イギリスに帰れば、かつての職場の同僚や夫の家族親戚などに会うのが楽しみだが、やはり人生で一番長いときを過ごした日本には、会うのを楽しみにする人たちが一番多い。スペインに帰って一番楽しみにしていたのは、お隣のオランダ人夫婦、アリーとトーシュに会うことである。この二人は人生を楽しむすべをよく知っている。それがオランダ人の国民性なのか、あるいはよく働きよく遊んできた彼らの個人的経験なのかはわからない。でも、この二人と一緒に過ごすのはとても楽しい。彼らは何をしたら楽しいかを知っているし、それを楽しむだけの心のゆとりと楽観的な人生観を持っている。そして、いつでも損得抜きで力になってくれる。2年半のスペイン生活で得た最高の収穫と言えるだろう。ところが今年は、わたしたちがイギリスに行っている間に彼らはスペインに来て、わたしたちがスペインにいる間は彼らはオランダに帰っているというすれ違いが続いたため、顔をあわせるのは合計2週間程度になってしまった。今回も、わたしたちがイギリスから帰ってきて10日後に彼らはオランダに帰ってしまった。来年はきちんと計画を立てて、もっと長く一緒に過ごせるようにしようと言っているところである。

こうしてイギリスとスペインを行ったり来たりしていると、どちらの国のほうが好きか?という質問をよくされる。正直に言うと、国としては、合理的なイギリスのほうがわたしの性格にはあっている。物事が理屈どおりに運ぶのは、計画をきちんと立てそれに従って行動するわたしにとっては、非常に暮らしやすい。イギリスを発つ日、ドーバーの港に向かう高速道路でスペインに帰る長距離トラックを見かけた。思わず、にんまりしてしまった。何が起こるかまったく見当のつかない国にまた戻って行く。たいそうなことを言えば、これはわたしの持って生まれた性質に対する挑戦である。今度はどんなことで驚かせてくれるのだろうか。期待と興奮がわいてくるのだった(その後、すぐにまたスペインの理不尽に翻弄されることになるのだが)。

★ 変わりつつあるペドロランド

わたしがペドロランドを離れていた2ヶ月間に起こっていた変化は上に書いたとおりだが、ペドロランド周辺にもっと大きな変化がゆっくりと起こりつつある。それは住民層の変化だ。今までは引退した夫婦の別荘または移住先であったが、最近は働き盛りのカップルや小さな子供のいる家族のイギリスからの移住が急激に増えている。かつて、この地での外国人と言えば、地元のスペイン人にとっては、金を落として行くだけのありがたい存在であった。金を使って地元経済を潤すことはあっても、地方自治体の面倒になることはなかったのである。ところが、小さな子供のいる外国人家庭が移住してくることによって、小学校の生徒数が激増し、地元の地方自治体の行政および財政を圧迫している。そして、子供たちの両親は地元のスペイン人と職をめぐって競争することになる。イギリスで人種間の衝突が激しくなったのは、景気が悪くなって移民たちが地元民と仕事を奪い合うようになってからだ。それ以前は、移民たちはイギリス人を3K労働から解放してくれるありがたい存在だったのである。そこに加えて、地方自治体が少数民族に優先的に公営住宅を割り当てるようになったものだから、代々その土地に住む白人イギリス人たちの少数民族に対する反感は高まった。最近のぺドロランド周辺の住民層の変化は、このようなイギリスでの人種間衝突の始まりを暗示しているような気がする。

このような新しい住民たちの中には、熟練した技術を持たない人たちもいる。それでまだ小さい子供たちを養っていかないといけないため、必然的に夫婦ともに長時間働くようになる。そうしたわけで、最近は親の目の行き届かないイギリス人の子供たちが野放し状態で近隣を騒ぎまくっているという状況がよく見かけられるようになった。こうした子供たちのうち、学校に行っているのは幸運なほうである。新学期直前あるいは学年半ばに引っ越してきた子供たちの中には、定員いっぱいで地元の公立小学校への転入を断られる者もある。教育熱心で金銭的に比較的余裕のある親の場合には、私立の学校に入れることもあるようだが、子供の教育事情など考えもしないで移住してきたような親の場合には、受け入れる学校がなくても何も手を打とうとしない人たちが多いのが現状だ。こうした子供たちが、スペインでどんな若者になり、どんな大人になるのか。

次号はきちんとテーマを決めて書きますとお約束したにもかかわらず、今回も思いつくままに書き散らすことになってしまった。が、読者の方からもっと頻繁に書いてくださいと言われているので、「オリンピックは勝つことよりも参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の言葉ではないが、メルマガも発行することに意義があると思いたい。

それでは、また次号でお会いしましょう。


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